北斗晶のサムネイル
北斗 (ほくと あきら、1967年〈昭和42年〉7月13日 - )は、日本のタレント、元女子プロレスラー、実業家、女優、芸能プロモーター、YouTuber。株式会社健介オフィス所属。本名、佐々木 久子(ささき ひさこ)、旧姓・旧リングネームは宇野 久子(うの…
48キロバイト (7,035 語) - 2025年4月30日 (水) 17:09

(出典 mezamashi.ismcdn.jp)

北斗晶さんが見せた“ヒール”としての誇りと、それを愛情に変えてきた40年の歩みには、思わず胸が熱くなります。北海道・札幌のリングから始まった物語は、リングの外でも多くの人の心に届いていますね。プロレスを知らない世代にも、「自分を貫く強さ」「感謝を忘れない姿勢」はきっと伝わるはずです。これからも“ちょこっとのブーイング”とたくさんの拍手を、北斗さんに!


元女子プロレスラーでタレントの北斗晶さんが、2025年6月12日にInstagramを更新し、自身のプロレスデビューから40年を迎えたことを報告。当時17歳で札幌のリングに立った彼女が、今振り返るヒールレスラーとしての自分、そして支えてくれたファンへの想いに、多くの共感と感動が寄せられています。

■【デビュー40周年】――●3500人の中から選ばれた10人、札幌でリングデビュー

北斗さんは1985年1月、「全日本女子プロレス」の新人オーディションに3500人の応募者の中から選ばれ、同年6月12日に北海道札幌市の「北海道立中島体育センター(現:札幌市中島体育センター)」でプロレスラーとしてデビュー。デビュー記念日にあたるこの日、自身のインスタグラムで当時の写真を公開しました。

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■【ヒールとしての自負】――●「ブーイングは最高の応援」

北斗さんは「埼玉の田舎から夢を追って上京した17歳」と当時を振り返り、後に悪役レスラー(ヒール)として人気を博した自分の姿を「こんな風になってしまった」とユーモアたっぷりに紹介。そのうえで「ヒールだった私は、ブーイングを最高の応援ととらえてます」と語り、プロレスならではの“愛される悪役”としての信念を改めて表明しました。
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■【リングを降りて】――●芸能界でも20年以上、実直に歩み続ける

プロレスラーとして17年を走り抜けた後、北斗さんはタレントとしての活動に転向。現在は芸能界での活動歴がプロレス時代を超える年月となり、バラエティや情報番組、CMなど多方面で活躍中です。「どちらの世界も特殊だけど、多くの人に支えられて続けてこられた」と感謝を綴り、コメントには涙するファンも多数。
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■【ファンへの感謝】――●「ブーイングも含めてありがとう」

投稿の最後では、「北斗晶が大嫌いな人もいると思いますが、嫌い嫌いも好きのうち」と語り、「直接お礼は言えませんが、たくさんの応援にブーイングにありがとうございます」と、どんな声も自分を強くしてくれたことを感謝。まさにヒールレスラーの真骨頂とも言える強さと懐の深さがにじむ言葉でした。
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【ネットの声】
「40周年おめでとうございます!現役の頃から大好きでした」
「懐かしい写真に涙。元気な姿を見られて嬉しい」
「ヒールだったけど、いつも堂々としていて憧れでした」
「人として尊敬してます。今後も応援してます!」
「ブーイングすら力に変えるメンタル…さすが北斗晶さん!」

【まとめ】
「人前に立って40年」と振り返る北斗晶さんの言葉には、プロレスラー、そしてタレントとして生き抜いた一人の女性の覚悟と感謝が詰まっていました。リングの上で憎まれ役を演じながらも、決して折れず、むしろブーイングを“応援”と捉えるその姿勢は、まさに“心のチャンピオン”。これからも、北斗晶という唯一無二の存在は、多くの人に勇気と元気を与え続けることでしょう。

【出典】
・grape編集部(2025年6月12日)「北斗晶、40年前のデビュー時の写真を公開」
・Instagram(@hokutoakira_official)投稿より
北斗晶、40年前のデビュー時の写真を公開 「懐かしい」「現役の頃から好き」 – grape [グレイプ]