終わったのは愛なのか、それとも「対話」なのか⁉黒木啓司さんの報道から見えた、人間関係の本質とは?
■ 要点
黒木啓司さんの離婚協議報道から、「夫婦の終わり」ではなく「人はなぜ愛した人を敵にしてしまうのか」を考える
<↓の画像は、美容商品の開発監修を務めていた黒木啓司さんと宮崎麗果さん>芸トピ
<↓の画像が、黒木啓司さんのインスタグラム投稿>芸トピ
元EXILEの黒木啓司さんが、妻・宮崎麗果さんとの離婚協議が続いていることを公表した。
報道によれば、今年1月から子どもたちにも会えない状況が続き、夫婦関係は深刻な状態にあるという。また、宮崎さんの脱税事件を受け、自身にも約1,500万円の借金が残ったことや、夫として責任を感じていることも率直に語っている。
離婚そのものは珍しいニュースではない。
芸能界でも一般社会でも毎日のように報じられている。
しかし、このニュースを見て私が考えたのは離婚ではなかった。
「なぜ人は、あれほど愛した相手を最後は敵のように感じてしまうのだろう。」
という問いだった。
恋愛が始まった頃、人は相手の長所しか見えない。
少しの欠点さえ「個性」と呼び、「この人となら幸せになれる」と信じる。
ところが結婚生活が始まると、その長所だった部分が、いつしか不満へと変わっていく。
優しかった人は「優柔不断」。
慎重だった人は「決断力がない」。
自由だった人は「無責任」。
見えている相手は同じなのに、評価だけが変わっていく。
つまり変わったのは相手だけではない。
自分の心の見方も変わっているのである。
黒木さんのケースも、外から見れば夫婦の事情は分からない。
どちらが悪いと簡単に決められる問題ではないだろう。
それでも一つだけ言えることがある。
夫婦が壊れる瞬間は、「愛がなくなった時」ではない。
対話が止まった時なのである。
■ 構造批評
芸能界では離婚が起きるたび、「どちらが悪いのか」という犯人探しが始まる。
世間は理由を知りたがり、SNSでは一方だけを責める声も少なくない。
しかし、人間関係はそんなに単純ではない。
今回の報道でも印象的だったのは、子どもに会えないことへの苦しみや、借金を背負った現実よりも、「夫婦の距離」が少しずつ広がっていったことだった。
ここで考えたい「なぜ?」は、
なぜ人は、愛した人ほど許せなくなるのか。
期待は、愛があるから生まれる。
期待が裏切られると、人は赤の他人よりも深く傷つく。
だからこそ、一番近い存在が、一番遠い存在になってしまうことがある。
芸能ニュースは離婚を伝える。
しかし本当に見るべきなのは、離婚という結果ではない。
そこに至るまで、対話は残っていたのか。
相手を理解しようとする努力は続いていたのか。
人生の終わりを決めるのは、大きな裏切りではなく、小さなすれ違いの積み重ねなのかもしれない。
今回のニュースは、夫婦だけではなく、親子や友人、職場の人間関係にも通じる普遍的な問いを投げかけている。
「なぜ人は、愛した人を最後は敵にしてしまうのか。」
その答えは、「愛が消えたから」ではなく、「理解しようとすることを諦めたから」なのではないだろうか。
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