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他人の失敗や不幸を見て「ざまあ」と思ってしまうのはなぜなのか?嫉妬や比較、安心感、公平感など、人間が他人の不幸を喜ぶ心理を掘り下げる

「ざまあ」と思う自分は性格が悪いのかwwwそれとも人間なら誰もが持つ感情なのか


■ 要点

他人の不幸を喜ぶ感情は、単純な悪意だけではなく、嫉妬や比較、正義感、自分との位置関係などが複雑に絡んで生まれる


誰かが失敗した。

仕事でミスをした。

恋愛で振られた。

自慢していた人が恥をかいた。

SNSで炎上した。

そんな場面を見たとき、心の中で一瞬、

「ざまあ」

と思ったことはないだろうか。

口には出さなくても、心の中で少しだけスッキリする。

そして、その直後に、

「自分って性格悪いな」

と思う。

実は、この感情は人間の心理としてそれほど珍しいものではない。

心理学では、他人の不幸を喜ぶ感情を「シャーデンフロイデ」と呼ぶことがある。

もちろん、だからといって誰かを傷つけたり、意図的に不幸に追い込んだりしていいわけではない。

重要なのは、なぜ自分が「ざまあ」と思ったのかだ。


■ なぜ「ざまあ」と思ってしまうのか

大きな理由の一つが「比較」だ。

自分より成功している人。

自分より幸せそうな人。

自分より評価されている人。

そんな相手が失敗すると、一瞬だけ自分との距離が縮まったように感じる。

「自分だけが負けているわけじゃない」

という安心感が生まれるのだ。

特にSNSは、この感情を刺激しやすい。

他人の成功、旅行、豪華な食事、恋人、収入……。

毎日のように「他人のいいところ」だけを見せられる。

そんな世界で誰かが失敗すると、

「あの人だって完璧じゃないんだ」

と安心してしまう。


■ 構造批評──「ざまあ」は嫉妬だけではない

もう一つ面白いのが、「公平感」だ。

たとえば、普段から人を見下している人が失敗した。

「あれだけ偉そうにしていたんだから、仕方ない」

と思う。

これは単純な嫉妬とは少し違う。

「人を傷つけた人には、それなりの結果が返ってきてほしい」

という感覚だ。

つまり「ざまあ」の中には、

嫉妬

比較

怒り

正義感

安心

など、さまざまな感情が混ざっている。

だから「他人の不幸を喜ぶ=性格が悪い」とだけ考えると、人間心理の面白い部分を見落としてしまう。


■ ちょっと辛口で言えば……

ただし、SNS時代の「ざまあ」には少し怖いところがある。

誰かが炎上すると、本人の事情も知らない人間まで一斉に叩き始める。

そして、

「悪いことをしたんだから叩かれて当然」

という空気ができる。

ここまで来ると、正義感というより集団心理だ。

しかも人間は、誰かを叩いているとき、

「自分は正しい側にいる」

という快感まで得てしまう。

だから、他人の不幸を喜ぶ感情そのものより、

その感情を大勢で共有した瞬間の方が怖い。


■ 筆者見解

「ざまあ」と思う感情を、無理に消す必要はないと思う。

人間である以上、嫉妬もする。

比較もする。

誰かの失敗に安心することもある。

問題は、その感情をどう扱うかだ。

心の中で、

「ちょっとスッキリした」

と思うだけなら、それは自分の感情だ。

しかし、

「もっと苦しめ」

「社会的に潰してやれ」

となれば話は変わる。

感情は自由でも、行動には責任がある

ここを分けられる人間の方が、むしろ成熟しているのではないだろうか。


■ まとめ

他人の不幸を見て「ざまあ」と思う感情には、嫉妬、比較、安心感、公平感など、さまざまな心理が絡んでいる。

だから、その感情が一瞬生まれたからといって、自分を極端に責める必要はない。

むしろ、

「なぜ自分は、この人の不幸を喜んだんだろう?」

と考えてみる。

そこには、自分自身が抱えているコンプレックスや欲望が隠れているかもしれない。

他人の不幸を見たとき、本当に見えているのは相手ではなく、

自分自身の心なのかもしれない。

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