(出典 wjproducts.jp)

私は、どうも物やお金にこだわるところがある。

と言っても、ブランド品を集めたいとか、高級なものに囲まれて暮らしたいという意味ではない。むしろ逆だ。

できるだけ無駄なものは持ちたくない。面倒なことは減らしたい。

服を選ぶのも面倒だから、昨日着たTシャツを今日も着る。(スティーブ・ジョブズ的な…)

外食をしようと思っても、

「こっちは1,000円。こっちは1,800円か……」と考えて、結局安い方を選ぶ。

別に、それが苦痛なわけではない。

安い方を選んで何が悪い、とも思う。

お金は大切だ。

これから先のことを考えれば、無駄遣いをする必要もない。

だから私は、長い間それを「合理的な生き方」だと思っていた。

でも最近、少し考え方が変わってきた。

もしかすると私は、「節約している」のではなく、いつの間にか「お金が減ることを避けること」を人生の判断基準にしていたのではないか。

そんなことを考えるようになった。

「安い方」を選ぶことは、本当に正しいのか?

例えば食事、

1,000円の定食と1,800円の定食がある。

どちらも普通に食べられる。

だったら1,000円でいい。これは確かに合理的だ。

800円残る。

年間で考えれば、それなりの金額になる。

だから「安い方を選ぶ」ということ自体は、決して悪いことではない。

問題は、その選択をするときに、

「自分は本当にこっちが食べたいのか?」

ということを考えているかどうかだ。

もし本当は1,800円の方が食べたいのに、

「800円も高いから」

という理由だけで1,000円の方を選んでいるのなら、私は少し考えてみたい。

800円を節約した。これは事実だ。

でも、その代わりに「本当に食べたかったもの」を我慢した。

それも事実なのだ。どちらが正しいのか?

今の私は、少し迷う。


(出典 cdn.clipkit.co)

 

これからは「損得」だけで決めない!

だから、これからの自分に一つルールを作ってみようと思う。

何かを選ぶとき、

「どっちが安い?」だけではなく、

「どっちを選んだら、自分は納得する?」と一度考える。

たったこれだけだ。

そして、面白いのは、これを始めたからといって毎回高い方を選ぶ必要はないということだ。

むしろ、「これは安い方で十分だな」

と自分で納得して選べるようになるかもしれない。これが大事なのだと思う。

今までは、「高いからやめておこう」だった。

これからは、

「考えたけど、今回は安い方でいい」にする。

同じ安い方を選んでも、意味が全然違う。

前者は「我慢」。

後者は「選択」だからだ。

Tシャツ一枚にも、自分の生き方が出ている

昨日着たTシャツを今日も着る。

洗濯してあるなら、それでいい。

Tシャツに人生を左右される必要なんてない。

これは今でもそう思う。

ただ、私の場合、「昨日と同じでいい」ではなく、

「選ぶのが面倒だから昨日と同じ」になっていることがある。

ここは少し違う。

私は以前から、物でも情報でも資料でも、できるだけ「わずらわしいこと」を減らしたいと思ってきた。

これは悪いことではないと思っている。

むしろ、自分にとって必要のないものを減らすという意味では、ミニマリスト的な考え方にもつながる。

ただ、何でも面倒だから省いてしまうと、人生そのものまで省略してしまう可能性がある。そこには少し注意したい。

だから服なら、

「これを着ると気分がいい」と思えるTシャツを何枚か持っておけばいい。

毎朝悩む必要はない。考えなくても気分よく過ごせる仕組みを作る。

これは私に合っていると思う。

お金は「残す」だけのものではない

そして、一番考えたいのがお金だ。

私はこれまで、お金が減ることに少し敏感だったのだと思う。

もちろん、これからの生活を考えれば、貯金も必要だ。

将来への備えも必要だ。

だから、何でも好きなように使えばいいとは思わない。

ただ、お金にはもう一つの役割がある。

自分の人生を少し良くするために使うことだ。

そこで私は、

「守るお金」

「将来のためのお金」

「今の自分が自由に使っていいお金」

を分けて考えてみようと思う。

自由に使っていいと決めたお金まで、

「もったいない」

「減ってしまう」

と考えていたら、結局いつ使うのだろう。

もちろん、無駄遣いをする必要はない。

でも、

「これは自分にとって価値がある」

と思ったものには、ちゃんとお金を使う。

それも人生なのではないかと思う。


(出典 www.jpnnavi.com)

「記憶残高」という考え方

最近、自分の中で面白い言葉が浮かんだ。

「記憶残高」だ。

例えば、1,500円のランチを食べる。

1,500円はなくなる。

銀行口座の残高は減る。

でも、「うまかったな」という記憶が残る。

旅行に3万円使う。3万円はなくなる。

でも、「あの場所は面白かったな」という思い出が残る。

誰かと食事をして、楽しい時間を過ごす。

そのお金もなくなる。

でも、思い出は残る。

 

もちろん、すべてのお金の使い方が思い出になるわけではない。

何となく買ったものは、すぐ忘れてしまうかもしれない。

だからこそ、私はこれから、

「このお金を使ったあと、自分には何が残るんだろう?」

と考えてみたい。

物が残ることもある。

便利さが残ることもある。

楽しい時間が残ることもある。

記憶が残ることもある。

何も残らないこともある。

そう考えると、お金の使い方も少し違って見えてくる。

心ゆく人生は、豪華な人生ではない

「心ゆくまで生きる」と言うと、豪華な生活を想像する人もいるかもしれない。

高級車に乗る。高級な家に住む。海外旅行へ何度も行く。

高いものを好きなだけ買う。

でも、私はそういうことではないと思う。

1,000円の定食を食べても、

「今日はこれが食べたかった」と思えれば満足できる。

逆に、5,000円の料理を食べても、

「本当はそんなに食べたくなかったけど、せっかくだから」

と思っていたら、それほど幸せではないかもしれない。

だから大切なのは値段ではない。

自分で選んだと思えるかどうか。

そこなのだと思う。

「節約人生」から「選択人生」へ

私はこれから、何でも高いものを選ぶつもりはない。

むしろ、必要のないものには今まで以上にお金を使わなくていいと思っている。

いらないものを買わない。

必要のないことはしない。面倒なものを減らす。

これはこれからも続けたい。

ただ、その一方で、

「本当は欲しいのに、安いから我慢する」

「本当は行きたいのに、お金が減るからやめる」

「本当は食べたいのに、もったいないからやめる」

という選択は、少し減らしていきたい。

これからは、

「安いから」ではなく「これがいい」。

「損しないから」ではなく「自分が納得するから」。

そういう選択を増やしてみたい。

残りの人生をどう使うか

歳を重ねてくると、「あと何年あるんだろう」と考えることがある。

もちろん、そんなことは誰にも分からない。

だからこそ、「いつかやろう」と先送りするより、今できることを少しやってみる方がいいのではないかと思う。

別に人生を大改造する必要はない。

明日、いつもより少し食べたいものを選んでみる。

気になっていた店に入ってみる。

着たい服を着てみる。

欲しかったものを一つ買ってみる。

行ってみたかった場所へ行ってみる。

そして、そのときに、

「今、自分のためにお金を使っているな」

と感じてみる。それだけでもいい。

人生は、大きな決断だけで変わるものではない。

毎日の小さな選択の積み重ねで、少しずつ変わっていくものなのだと思もう。


(出典 beautiful-photo.net)

物を減らすだけが、ミニマリズムではない

私は、できるだけ物を増やしたくない。

それはこれからも変わらないと思う。

でも、最近は「ミニマリスト」というものを、少し違う角度から考えるようになった。

本当のミニマリズムとは、物を減らすことだけではないのではないか。

人生にとって必要のないものを減らす。

必要のない情報を減らす。

必要のない付き合いを減らす。

必要のない心配を減らす。

そして、本当に大切なものには、時間もお金も気持ちも使う。

そう考えると、

「人生そのものをミニマイズする」

という考え方もできるのではないかと思う。

何でも削るのではない。大切ではないものを削って、大切なものを残す。

それなら、私にもできそうな気がする。

最後に

私はこれまで、「節約することは良いことだ」と思ってきた。

今でも、その考え方を完全に捨てるつもりはない。

ただ、これからは一つだけ付け加えたい。

節約するために生きるのではなく、自分らしく生きるためにお金を使う。

安い方を選ぶ日があってもいい。

高い方を選ぶ日があってもいい。

大切なのは、「なぜ自分はこっちを選んだのか」

を自分で分かっていることなのだと思う。

これからの私が目指したいのは、

「節約人生」ではなく、「選択人生」だ。

お金を惜しむのではなく、使うところを自分で決める。

時間を惜しむのではなく、大切なことに使う。

物を増やすのではなく、本当に必要なものを残す。

そして、人生の最後に、

「もっと使えばよかった」

「もっとやっておけばよかった」

と後悔するより、

「まあ、いろいろあったけど、自分で選んで生きてきたな」

と思えたらいい。

それが、私にとっての「心ゆく人生」なのかもしれない。

人生は、残高だけでは測れない。

これからは、自分の口座の残高だけではなく、

自分の人生にどんな記憶が残っているのか?

それも、ときどき確認してみようと思う。