「老後のためにお金を貯めましょう。」
「○千万円必要です。」
「できるだけ節約しましょう。」
お金の話になると、世の中には「いくら貯めれば安心なのか」という話が山ほどある。
でも、最近私は少し違うことを考える。
人生の最後に、お金はいくら残っていれば正解なのだろう。
1,000万円?
2,000万円?
5,000万円?
1億円?
では、1億円残して人生を終えた人は、お金の使い方に成功したのだろうか。
逆に、ほとんどお金を残さなかった人は失敗だったのだろうか。
もちろん、そんな単純な話ではない。
それなのに私たちは、いつの間にか「残高が多いほど安心」「貯金が多いほど立派」という価値観に引っ張られている。
私は、ここを一度考え直してみたい。
「貯めること」が目的になっていないか?
お金は大切だ。
生活するには必要だし、病気や介護など、突然大きなお金が必要になることもある。
だから、老後のために備えることは当然だと思う。
問題は、「何のために貯めているのか分からなくなっていないか」
ということだ。
例えば、1万円あればちょっとした旅行ができる。
でも、「将来のために」
と我慢する。
欲しかったものがある。でも、「なくても困らない」
と買わない。
食べたいものがある。でも、「高いから」
と安い方を選ぶ。
もちろん、それが正しい場合もある。
でも、そんな選択を何年も何十年も続けた先に、人生の最後が来たらどうだろう。
通帳には、それなりの金額が残っている。
でも、自分の中には、
「あれをやっておけばよかった」
「あれを食べてみたかった」
「あそこに行きたかった」
という思いが残っていたら、私は、少し考えてしまう。
何のために、そんなに貯めたんだろう。
「将来のため」は、とても便利な言葉だ
「将来のために」
この言葉は、とても便利だと思う。
今使わない理由になる。
今楽しめない理由にもなる。
旅行は老後に。
欲しいものは後で。
楽しむのは余裕ができてから。
でも、「いつか」が必ず来るとは限らない。
そして、いざ時間ができたときには、若い頃と同じようには動けないかもしれない。
旅行に行ける体力がなくなっているかもしれない。
食べたいものが変わっているかもしれない。
一緒に行きたかった人が、もういないかもしれない。
だから、お金には「いくらあるか」だけではなく、
「いつ使うのか」
という視点も必要なのだと思う。
お金は、使って初めて人生に入ってくる
銀行口座に100万円ある。それは安心につながる。
でも、その100万円そのものが楽しいわけではない。
そのお金を使って、旅行をする。おいしいものを食べる。
好きなものを買う。誰かと楽しい時間を過ごす。経験をする。
そこで初めて、お金が人生の中に入ってくる。
だから私は最近、「記憶残高」というものも大切なのではないかと思っている。
1万円使った。
銀行の残高は1万円減った。
でも、その1万円で楽しい時間を過ごしたなら、人生には何かが残っている。
旅行に3万円使った。
3万円はなくなった。
でも、その景色や思い出は残る。
もちろん、使ったお金が全部思い出になるわけではない。
何となく買ったものは、すぐ忘れてしまう。
だからこそ、「このお金を使ったら、自分には何が残るんだろう?」
と考えることが大切なのだと思う。
ただし、「全部使え」は違う
ここは誤解されたくない。
「人生一度きりなんだから、好きなだけ金を使え」
という話ではない。
それをやったら、今度は別の意味で人生が苦しくなる。
生活を守るお金。
将来のためのお金。
そして、今の自分が楽しむためのお金。
この三つくらいは分けて考えていい。
将来のためのお金は、ちゃんと守る。
必要な生活費も確保する。
そのうえで、
「これは自分のために使っていい」
と決めたお金まで、罪悪感を持って使わない必要はない。
1万円使って楽しかったなら、それでいい。
3万円使って忘れられない思い出ができたなら、それでいい。
5,000円の食事をして、「うまかったな」
と思えたなら、それも人生だ。
人生の最後に、いくら残っていればいいのか?
では、最初の問いに戻る。
人生の最後に、お金はいくら残っていれば正解なのか。
私は、分からない、というより、
正解なんてないのだと思う。
1,000万円残しても、それが本人にとって納得できる人生ならいい。
100万円しか残らなくても、それまでの人生を十分に楽しめたならいい。
逆に、1億円残っていても、「もっと使えばよかった」
と思いながら人生を終えるなら、私は少し寂しいと思う。
だから、最後に見るべきなのは通帳だけではない。
「自分は、このお金を使って何をしてきたのか」
ということなのではないだろうか。
お金に人生の主人をやらせない
お金は大切だ。
でも、お金に人生の主人をやらせてはいけない。
「お金が減るから」という理由だけで、やりたいことを全部諦める。
「老後が不安だから」という理由だけで、今を全部我慢する。
それでは、いつまで経っても人生の主導権が自分に戻ってこない。
お金は主人ではなく、道具だ。
自分がどう生きたいのかを決めて、そのためにお金を使う。
その順番でいいのだと思う。
「節約人生」から「選択人生」へ
私は、これから少し考え方を変えてみたい。
「どっちが安い?」だけではなく、
「どっちを選んだら、自分は納得する?」
と考える。
安い方を選んでもいい。
高い方を選んでもいい。
大切なのは、自分で選ぶこと。
必要のないものには、徹底的にお金を使わない。
でも、「これは自分にとって大切だ」
と思ったものには、ちゃんと使う。
私は、それを「節約人生」から「選択人生」への変更だと思っている。
そして人生の最後に、「もっと貯めればよかった」
だけではなく、「けっこう使ったな。でも、悪くなかったな」
と思えたらいい。
人生の最後に残すべきものは、お金だけではない。
お金を使って得た時間、経験、思い出。
そして、
「自分で選んで生きてきた」という実感。
もしかすると、それこそが最後に一番残したいものなのかもしれない。






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