【要点】
・中村ゆりさんは9月1日、直腸がんのため44歳で亡くなった。
・長嶋一茂は11年前の映画撮影時の「カツラが取れた」場面を振り返り、
抗がん剤治療だったのではないかと語った。
・一茂は中村さんが撮影中も笑顔を絶やさず、気丈だったと追悼した。
・ネットでは、死後に治療を語ることへの疑問が出た。
【本文】
中村ゆりさんの死を悼む場で、長嶋一茂が語った11年前の記憶が、思わぬ形で波紋を広げている。
中村さんは9月1日、直腸がんのため44歳で亡くなった。所属事務所によると、13年前にもがんを患い、その後寛解。昨年1月に再びがんが見つかり、手術後に転移が確認された。本人は病気を広く公表する道を選ばなかった。
9月18日の『羽鳥慎一モーニングショー』で、一茂が中村さんを追悼した。
一茂は、自身が企画した映画『ハッピーランディング』で中村さんに主演してもらった思い出を紹介。その中で「撮影中にカツラが取れた」ことがあり、当時は別の撮影のためにそうしているのだと思ったが、今振り返ると「たぶん抗がん剤治療をやられてたんだな」と語った。
そして、食事会にも参加し、クランクインからアップまで笑顔を絶やさなかったという印象を語り、「とても残念」と故人を悼んだ。
<↓の画像は、映画『ハッピーランディング』出演当時の中村ゆりさんの写真>芸トピ
発言は中村さんの強さを称え、当時の姿を振り返りながら死を惜しむ内容だった。
それでも引っかかる人が出たのは、「本人が生前、公表しなかったこと」を死後に第三者が語ったからだ。
ここが核心だ。
一茂の発言は「今から思えば」「たぶん」という推測だ。確定情報として受け取るべき話ではない。
それでもテレビで語られれば、一気に公の情報になる。しかも本人はもう説明できない。
生きている人なら「それは違う」「話さないで」と言える。しかし亡くなった人には、それができない。
故人の思い出を語ること自体は悪くない。だが、そこに本人が伏せていた可能性のある情報が含まれる場合、話は変わってくる。
芸能人は見られる仕事だが、すべてが公開情報になるわけではない。特に病気や治療は、本人が決める領域だろう。
ネット上では「本人が伏せていたことを話す必要があるのか」といった批判の一方、「中村さんの頑張りを伝えたかったのでは」という見方もある。実際、この発言をめぐっては「生前伏せていたことを死後に話すべきか」という議論も報じられている。
ここを一茂叩きだけで終わらせると浅い。
考えたいのは、「知っている」と「話していい」の間には距離があるということだ。
今回の発言が悪意から出たと断定する材料はない。一茂自身も中村さんを悼んでいる。
だからこそ、単純な「失言」では終わらない。
善意でも何を話しても許されるわけではない。本人の意思を確認できない以上、慎重であるべきだ。
【ネットの声】
- 中村ゆりさんは病気のことを伏せてきたのに今それ言う? プライバシーもあるのに配慮が足らん
- さすがにデリカシーとか人の心とか無さすぎ
- 言わなくてもよい話。自分の話のネタに利用したといわれても仕方がない。
- 中村ゆりさんが隠していた事をなぜわざわざ言うのか…少しあれ?と思った事はあった等、濁す言い方があるはずだろ
- まだ若い女優さんであり故人。プライバシーもあるし、病名を伏せて活動されてこられたのだから、もう少し配慮ある言い方ってのがあるでしょう。
全て正直に話せば良いってものではない。あまりにも野暮で無神経では - 「カツラが取れた」なんて公共の電波にのせて言う必要はなかった。「もしかしたらその時期は闘病されてたかもしれないが、がんばって演じてくれてた」それだけでよかったじゃないか
【ミツネコ見解】
ミツは、今回の件を「一茂は無神経だ」で終わらせたくない。
人間には、誰かから聞いた話や偶然見た姿がある。だが、情報を持っていることと、公開する権利は別だ。
一茂に悪意がなかった可能性はある。中村さんの強さを伝えたかったのかもしれない。
善意でも何を話しても許されるわけではない。本人の意思を確認できない以上、慎重であるべきだ。
「この話をしたら、本人はどう思うだろう」
それを確認できない相手については、なおさら考えなければならない。
【デストーク】
中村さんが病気をどう扱うか選んでいたのなら、その選択にも敬意を払うべきではないか。
追悼とは、故人について何でも話すことではない。
話さないこともまた、敬意になり得る。
【情報元】
情報元① ORICON NEWS「長嶋一茂、中村ゆりさんを追悼」
情報元② ORICON NEWS「中村ゆりさん、直腸がんのため死去」
情報元③ 5ちゃんねる系転載記事「長嶋一茂『昔、中村ゆりさんと共演したらカツラだった』」
RB67





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